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No.025 神庭亮介 (朝日新聞):作品レビュー 横山健 -疾風勁草編- ドキュメンタリーフィルム

作品レビュー:No.025 神庭亮介 (朝日新聞)

「結論を伝えるのではなく、問題提起をしたい。それを受けて、色んな意見に枝分かれしていけばいい。180度違う方向に行っても、OKって思うもん」

この鷹揚さと寛容さこそが、横山を横山たらしめている所以だろう。 by No.025 神庭亮介 (朝日新聞)

横山健が語る、語る、語る。父との相克を。兄との別離を。ハイ・スタンダードの軌跡を。メンバーとの確執を。心が壊れてしまった日々を。飾り気も混じりっ気もない、むき出しの言葉は、男の波乱の半生をたどり、赤裸の心を浮かび上がらせる。

ハイスタは2000年、横山が抑うつ状態に陥ったことをきっかけに、活動を休止した。10年以上にわたって止まった時計の針を動かし、凍りきったメンバーの関係性を溶かす契機となったのが東日本大震災だった。

今こそメッセージを届けようと、震災2週間後にハイスタの再始動を決定。そして2011年9月、横浜スタジアムで11年ぶりのエアジャムを開催した。伝説の復活ステージ。だが、大観衆の熱狂をよそに、横山はひとり割り切れない思いを抱え、揺れ動いていた。

「ステージ上がって音出した途端に、ウソくささを感じちゃった。ハイスタのカバーしてる中年のおじさんバンドみたいだった」「やっぱり再結成ってカッコ悪いなって思う。再結成してカッコ良かった試しないもん」

それでも、ファンは諸手を挙げてハイスタを歓迎し、歓声を響かせる。ソロプロジェクトであるKen Yokoyamaに注力してきた10年の月日は、いったい何だったのか。胸中には、複雑な思いが去来していたに違いない。

しかし、横山はある時点で「カッコ悪さ」を引き受ける覚悟を決めた。翌2012年、宮城・国営みちのく杜の湖畔公園で開かれたエアジャムには、すがすがしい表情でギターをかき鳴らす横山の姿があった。「喜んでもらいたい」「元気になってもらいたい」。行動原理はいたってシンプル。腹をくくった男は強い。

震災以降、原発問題などの政治的な発言を積極的にするようになった横山に対して、戸惑いを覚えたリスナーもいるかもしれない。かくいう私も、彼の主張すべてに共感できるわけではないし、異論もある。でも、そんなことは横山にとって百も承知だ。

「結論を伝えるのではなく、問題提起をしたい。それを受けて、色んな意見に枝分かれしていけばいい。180度違う方向に行っても、OKって思うもん」

この鷹揚さと寛容さこそが、横山を横山たらしめている所以だろう。信者を引き連れた教祖ではなく、下ネタ好きなとなりのアンちゃん。孤高のカリスマミュージシャンではなく、街場のパンクスター。そんな親しみやすさが、横山にはある。

一本気で豪快。それでいて繊細。だから、横山はいちいち悩む。律義に惑う。真摯に葛藤する。そして、その揺らぎと振幅のなかから音が生まれる。

「エアジャム」という言葉は、30代以上のパンクファンを一気に青春時代へと引き戻してしまう、甘美な響きを持っている。

熱に浮かされたように会場でダイブとモッシュを繰り返した者も、その場に居合わせることができず、歯がみしながらすり切れるまでビデオを見た者も(私だ)。あの時代をともに過ごしたエアジャム世代であれば、きっとこの映画に見入ってしまうことだろう。エアジャムという想像の共同体の中心にいて、もがき、あがき、うめきながら突き進んできた横山の思いが、フィルムに刻みこまれているからだ。

横山健は走る、走る、走る。矛盾も、葛藤も、煩悶も、全部背負い込んで。土ぼこりにまみれて。金ピカのままで。

by 神庭亮介 (朝日新聞)