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No.014 山口智男:作品レビュー 横山健 -疾風勁草編- ドキュメンタリーフィルム

作品レビュー:No.014 山口智男

横山健というアーティストにとって、語ること/話すこともまた、
彼が意識しているかしていないかは別として一つの表現として成立していると思うのだ。 by No.014 山口智男

生い立ちを含めた個人史、4作目のソロ・アルバム『Four』のツアー、「We Are Fuckin’ One Tour」と題した東日本大震災後の東北フリーライブツアー、そしてAIR JAM 2011からAIR JAM 2012までの心境の変化――。この作品には4つの時間軸が流れているが、そのすべてを貫いているのが横山健のロング・インタビューだ。

ドキュメンタリーと言うと、いろいろな視点からその人物、あるいは物事を立体的に描きだすために多くの場合、複数の人間の発言から構成することが多いが、最初からそれを意図してインタビューに臨んだのか、それともインタビューを始めてからそうしたほうがいいと判断したのか、いずれにせよ、終盤の一ヶ所以外、敢えて横山一人に語らせたことで、この『横山健 –疾風勁草編-』はこれまでライヴのMCなどでファンに印象づけてきた語り手/話し手としての横山の魅力をほぼ2時間にわたって、とらえたおもしろい作品になっている。冒頭、「Hi-STANDARD Vo & G」「PIZZA OF DEATH社長」「二児の父」「Ken Yokoyama Vo & Gt」と現在の彼を物語る肩書きがテロップで画面に映し出されるが、個人的にはそこに「語り手/話し手」とつけ加えてみたい気持ちもある。

ファンならご存知のように、なかなか弁の立つ人である。しかし、語り手/話し手の魅力と言っても、決して話術あるいは話芸としてすぐれているという類の話ではない。彼が常に自分を語ること/話すことについても真剣かつ熱心に、そして、ある意味、責任感を持って取り組み、それがパンク・ロックのミュージシャンである彼にとって、音楽とはまた違う(もちろん、どこかで通じているにはちがいないが)多くの人を惹きつける魅力の一つになっているということを筆者は言いたいのだが、そこに人柄がにじみでるという意味で、横山健というアーティストにとって、語ること/話すこともまた、彼が意識しているかしていないかは別として一つの表現として成立していると思うのだ。

彼のライヴに足を運び、場合によっては長いと感じることもあるMCを聴きながら語り手/話し手としての魅力を感じてきた筆者のような人間にとって、このドキュメンタリーは、まさに語り手/話し手としての面目躍如なんて言ってみたい作品だが、横山がここで時に饒舌に、時に言葉を選びながら、時にいたずらっこのような笑みを浮かべながら語るあまりにも赤裸々すぎるエピソードはファンにとって、全部が全部とは言わないまでも、いくつかはかなりショッキングなものかもしれない。

中でもAIR JAM 2011開催の経緯やそのステージに上がった時の感慨、そして演奏を終えた時の葛藤は、Hi-STANDARD時代からのファンなら聞きたくなかったことかもしれない。ひょっとしたら、語る必要はなかったんじゃないか。胸の内にしまっておけば、誰もが美しい思い出として持っていられたにちがいない。それを包み隠さずに敢えて語ったのは正直さゆえなのか、ファンに対する誠意なのか、旺盛なサービス精神なのか、筆者にはわからないが、全編がそんな調子で、全然、取り繕ったりせずに激白しているのだから、彼の音楽を聴いた時とはまた違う形で表現者としての覚悟を感じとることができる、いかに見ごたえある2時間かわかっていただけるだろう。

4年にわたって、横山の活動に密着してきたカメラがとらえた映像もソロとしてのデビュー・ライヴをはじめ、貴重なものが多いが、真面目なことを語っているくだりに敢えてライヴのストリップ・コーナーを重ねる遊び心も、らしくて思わずニヤリ。健さんの脱ぎっぷりのよさに改めて惚れ惚れしてしまう筆者なのだった。

by 山口智男