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No.011 徳山弘基(ROCKIN'ON JAPAN/RO69):作品レビュー 横山健 -疾風勁草編- ドキュメンタリーフィルム

作品レビュー:No.011 徳山弘基(ROCKIN'ON JAPAN/RO69)

やや乱暴に断言するのであれば、この”WE ARE FUCKIN' ONE"という言葉に、
今回のドキュメンタリーの本質が、そして横山健という男の生き様が見事に要約されているのである。 by No.011 徳山弘基(ROCKIN'ON JAPAN/RO69)

“WE ARE FUCKIN’ ONE”という言葉が好きだ。DVDの冒頭で、横山健が背負っているこの言葉が堪らなく好きだ。そしてやや乱暴に断言するのであれば、この”WE ARE FUCKIN’ ONE”という言葉に、今回のドキュメンタリーの本質が、そして横山健という男の生き様が見事に要約されているのである。

所詮人間なんてものはひたすら自分の欲望に忠実で、結局他者には無関心で、周りで何が起きていたって世界の中心にいるのは常に自分だ。そんな強烈な自我を持った「個」としての人間同士が、ある瞬間に「ひとつになる」と、そこにはどう考えたって葛藤や摩擦や反発が生まれてしまう。どこまでも七面倒で、究極にロクでもない、そして鬼のようにクソな現実が、壮大な理想の中へ自然と放り込まれていく。もしそうであるなら、我々は徹底して「ひとつになる」ことを拒絶し、より「個」としての現実を引き受けるべきだ。というのが、そもそものパンクロックのテーゼであった。先の言葉を少しイジるのであれば、それこそ”WE ARE FUCKIN’ ASSHOLES”というフレーズこそが、パンクロックの原理原則に忠実なマニフェストであるはずだ。しかし横山健は、”ONE”という言葉を用いた。いや、用いたというより、吐き出したという表現のほうがふさわしいのかもしれない。それは、”ASSHOLE”という言葉では到底太刀打ちできない巨大な現実が(言うまでもなく「3.11」が)、彼の目の前に出現したからだ。ただ横山健は、そこで”FUCKIN”という言葉を残し、刻んだのである。「俺たちはひとつなんだ!」という高潔で真っ白なキャンバスの上に、「クソったれ!」という殴り書きを加えたのである。それは彼のパンクロッカーとしての矜持であり、横山健が横山健であることの何よりの証明でもあった。

では、横山健にとっての”ONE”とは何であり、そこにはいかなる”FUCKIN”な現実が潜んでいるのか? それは各人がこのDVDを観ながら感じ取ってほしい。ただ解釈こそ人それぞれであるが、やはりこのドキュメンタリーを観た後には、誰もが、こう叫ばずにはいられないはずだ。

クソったれ! 俺たちはひとつなんだ!

by 徳山弘基(ROCKIN'ON JAPAN/RO69)