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No.021 平林道子 (音楽と人):作品レビュー 横山健 -疾風勁草編- ドキュメンタリーフィルム

作品レビュー:No.021 平林道子 (音楽と人)

もっと踏み込んで、もっと伝えたい。その思いがアルバム『Best Wishes』という形になり、そこに至るまでの彼の姿が記録されたものがこの『横山健 -疾風勁草編ー』という映像作品なのだ by No.021 平林道子 (音楽と人)

正直な人だ。 “AIR JAM 2011”でハイ・スタンダードとしてステージに立った直後の言葉もそうだが、この作品の中心となっているモノローグを聞きながら、何度もそう思った。もちろん、本当に何もかもクソ正直にさらけ出してるわけじゃないだろう。全裸になっても股で隠してモロ出しはしない、ステージ上での彼の姿みたいなことは当然あるにせよ、まっすぐに語られる言葉の数々は、私をずっと画面に釘付けにした。そして、エンドロールを見ながら、横山健というミュージシャンが、葛藤と自問自答を繰り返しながら覚悟を決めた姿にグッときたのだった。

元々は、Ken Yokoyamaというミュージシャンの10年近くを総括するものとして動き出したプロジェクトだったということで、作品の前半は、生い立ちから語られる彼のヒストリーとバンドマンとしての日常を追った映像が中心となっている。彼の家庭環境に関しての話やツアー中に起きた高速道路での事故映像など、少なからず衝撃を受けるエピソードやシーンもあり、それだけでも作品として十分に成立しているのだが3.11を挟んでの後半、テーマが徐々に変わっていく。東日本大震災という出来事を境に、発信者という立場にあることを彼がより強く自覚し行動していく様が描かれているのである。

横山にとって憧れのヒーローだった甲本ヒロトがいたブルーハーツが、パンクロックという音楽に市民権を与えたとしたら、ハイスタは、隣のあんちゃん的な存在感で「自分たちでも出来るかも」とパンクロックを、そしてバンドというものをより身近なものにしてくれたと思う。そしてバンドが大きくなっていった結果、隣のあんちゃん的ではあるけれども、ハイスタのギタリストとして、数多くのキッズの憧れの存在となり、パンクロック・ヒーローとなっていった横山。彼自身は、そう思われていることに対して否定的だったのだろう。あくまでも、己の信念をもって生きるパンクスのひとりであり、ギターの弾ける隣のあんちゃんであろうと、そうあるべきだと思っている自分と、周りから求められる自分の狭間で常に葛藤し続けていた。しかし、東日本大震災という出来事をきっかけに、自分がアクションを起こすことで、Ken Yokoyamaの音楽に、Hi-STANDARDの音楽に共鳴する人間に何かしらを伝えることができる、そういう存在であることを認めて受け入れ、背負っていくことへの覚悟を決めた。

自分に正直に、ときにユーモアを交えたりもしながら己の言葉でメッセージを発していく彼は、震災以前からも一貫して、自分の意志や思いをどう受け取るかはその人次第である、というスタンスのもと、「お前はどうするのか?」と問いかけ続けてきた。それはパンクスとして当然の姿勢ということなのだろうが、今の横山健は、「答えは自分の中にしかないからさ。その答えはそれぞれで探せばいい」という言葉に続けて、「自分を信じられないのなら、その思考を変える手助けをしたい」と言うのだ。もっと踏み込んで、もっと伝えたい。その思いがアルバム『Best Wishes』という形になり、そこに至るまでの彼の姿が記録されたものがこの『横山健 -疾風勁草編ー』という映像作品なのだと思う。そう考えると、この次に彼がどんなアルバムを作り出すのか? それがものすごく気になって仕方がない。

by 平林道子 (音楽と人)