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No.010 櫻井 学 (読売新聞):作品レビュー 横山健 -疾風勁草編- ドキュメンタリーフィルム

作品レビュー:No.010 櫻井 学 (読売新聞)

悩みや葛藤があってこそのパンクであり、ロックだ。私は幸福で幸福でしょうがないです、なんていう人の表現、誰が聴きたい? 悩んでいるからこそ、苦悩を吹き飛ばすようなラウドな音楽やバカ騒ぎも必要なのだ。 by No.010 櫻井 学 (読売新聞)

悩む。悩む。悩むーー。本作がとらえたパンク・ロッカー、横山健はひたすら悩み続けている。そして横山の悩みの多くが、パンクの本質と言えるDIY精神に根ざしているのだから、極めて質(たち)が悪い。

ハイスタとしての商業的な成功を経て、彼は1999年にインディ・レーベル、ピザオブデスを立ち上げる。その経緯は本作でも触れられているし、私が以前取材したときも、話をしてくれた。横山は「海外のミュージシャンと交流するうちに、独立していないことが恥ずかしくなった」と語っていた。DIY、すなわち、何事も自分で決め、制約なしに行動する。たしかにそれは理想的だ。横山と私は生年が一つしか違わない同世代なので、音楽体験はある部分で重なっているはずだ。我々が10代だった1980年代は「メジャーよりもインディの方がかっこいい」という時代だった。日本のインディシーンはまだ小さかったけれど、パンクに限らず、海外でクールなバンドは多くがインディだった。スミスやコクトー・ツインズのように高い知名度を誇ったバンドだって、インディチャートに名前を連ねていた。

しかし、筋を通しまくる横山は、他人に運営を任せず、まさにDIY精神でピザオブデスの社長までやってしまう。そして経営者とミュージシャンという時に利害が衝突する2つの顔を持ち、その矛盾にさいなまれる。本作での「DIYのはてにこれなら、これはクソだなと思ったもん」というコメントに深い悩みが反映されている。

生粋の音楽人ゆえにミュージシャンはやめられない、ならば会社をやめれば、とも思うが、そこでは所属バンドやスタッフの事を考えてしまう。いったん抱えたものを自分の一存で、投げ出すのは筋が通らない。そう考えたのだろう。本作では、精神を病んだことまで告白している。

この愚直さはどうだろう。2011年のAIR JAMにおけるハイスタの復活は、本作の大きな柱になっているが、そこでも横山は悩み続ける。ライブは盛り上がったが、ソロでがんばってきたキャリアに思いをはせ、「釈然としない」と言う。ソロはソロ、ハイスタはハイスタと簡単には割り切れない。悩みに悩んで音楽を続けてきた人だからこその苦しみだろう。東日本大震災という未曽有の惨事があり、被災地や日本を元気づけたいという思いが、ハイスタ復活の大きなきっかけになっている。そんな「大義」があっても、悩みをごまかすことはできないのだ。

それもDIYの思想と密接に絡んでいたのだと思う。自分たちで一から作り上げたハイスタとはいえ、もはや伝説と言えるバンドだ。過去の威光に頼るようなことはしたくなかったのだろう。それは横山にとってDIY(自分自身でやること)ではなかったのかもしれない。ハイスタはもはや横山の手を離れた存在になっていたのだと思う。

何もそこまでこだわらなくても、ファンは喜んでくれたじゃないか、と言いたくなる。翌年のAIR JAM東北開催で、彼はようやく「充実した手応え」という言葉を口にした。見ているこちらもほっとするとともに、本当に愚直な人なんだと感心させられた。安直には何事も考えられない。いちいち時間がかかるのだ。

しかし、悩みや葛藤があってこそのパンクであり、ロックだ。私は幸福で幸福でしょうがないです、なんていう人の表現、誰が聴きたい? 悩んでいるからこそ、苦悩を吹き飛ばすようなラウドな音楽やバカ騒ぎも必要なのだ。不幸が反転して初めてリアルにハッピーな表現に到達できる。それは本作で、横山の苦悩を知り、激しい音楽を聴き、無邪気にふざける姿を見れば、よく分かるはずだ。そして、真にDIYの姿勢を貫こうとすれば、常に自分で考え、悩みながら進むしかないということも分かる。手本も先例もなく、試行錯誤が続いていくからだ。

横山はそういった業を背負ったミュージシャンであり、だからこそ彼の音楽は信用に値する。

by 櫻井 学 (読売新聞)