このサイトはJavaScriptがオンになっていないと正常に表示されません

No.006 鹿野 淳(MUSICA):作品レビュー 横山健 -疾風勁草編- ドキュメンタリーフィルム

作品レビュー:No.006 鹿野 淳(MUSICA)

結局の所、僕は横山健をよくわかってないんだと思う。
さらによくわからないと思う事がどんどん増えている気もする。
いつもその場ではいろいろと盛り上がるし、共鳴もする。でもしばらくすると気づく。
ーー「あ、やっぱり自分は横山健をよくわかってないんだ」と。 by No.006 鹿野 淳(MUSICA)

僕は横山健をとても特別なアーティストだと思っている。と同時に横山健のことを本当によくわからないアーティストだとも思っている。もう、12、3年、一緒にいろいろな取材をしてきたが、このアーティストは本当によくわからない。

これは不満でもなければ別にスペシャルなことを言おうとしているわけでもない。いつも素晴らしい音楽を届けてくれるし、インタヴューは楽しいし、周りのスタッフは僕と同じぐらいアホなので最高だし、パンクロックが何かをきっと彼は今でも体現している。そんなことはとっくにわかっている。

だけど、ただただ横山健というアーティストがよくわからないのだ。ただの天の邪鬼とは到底思えないし、独特の哲学が何かも大体わかるのだが、それでも横山健が僕にはわからない。

一番最初にハイスタに触れたのは新宿ロフトでのライヴで、それはコーク・ヘッド・ヒップスターズのレコ発ライヴだった。そのライヴまで僕はハイスタのことをまるで知らなかったが、ライヴを見て「こりゃ凄い事になる!」と思った。大抵の夜の事は忘れてしまうが、あの夜の事は今でもまったく忘れない。きっと、あの場にいたことを自分の誇りにしているからだろう。

そのハイスタの「凄い」の大部分を、当時はドラムの恒君から感じていた。恒君のドラムは本当に誰もが叩けないスピードと情熱が入り交じっていて、洋楽含めて体験した事がない世界をビートとして響かせていた。ハイスタは何よりドラムが凄いとあれから会う人会う人に話していたら、それから半年もしないちに『GROWING UP』がドロップされ、ライヴハウスが好きな人なら誰もが知るバンドになっていった。それでも僕はまだ恒君というドラマーが凄い3ピースバンドだと思っていて、雑誌の企画で「ハイスタのメンバーと僕のどっちがステーキを沢山食べれるか?」という企画を恒君にお願いした。あ、結果は僕が勝ちました。

その後、沢山のライヴを見て、彼らがムーヴメント化していく中で、難波君が凄いアーティストなんだということに気づいていった。彼が持つ突破力と求心力と太陽のような光が眩しくて眩しくて、なんか一時期髪の毛をピンクにしていたことがあったが、そのピンクより遥かに難波君自身のほうが発光していると思って、凄い凄いと思っていた。パンクというインディヴィジュアルな世界にも関わらず、それが3万人以上の人をスタジアムに集めてAIR JAM 2000なんてフェスをやれちゃうのは、難波君のカリスマ性と行動力がエンジンになっている気がした。

で、難波君が如何に凄いのか?という原稿を書いたら、その雑誌がでた数日後、健君から電話がかかってきた。

彼は言った、「何もわかってないのに、なんでそんな原稿を書くんですか」と。僕はわかってないこともあるかもしれないけど、これは僕が感じた事を書いたまでだと。だから気に喰わないのは勝手だが、文句を言われても答えようがないという話をした。そうしたら健君は「今からそっちへ行って話をしたい」というので、お招きした。

そこで健君が僕に話した大きなトピックは2つ。一つは、「自分は今、鬱病にかかっていて、それはかなりヘビーなもので、そのことがハイスタがこういう状態(解散のような状態)になっている大きな理由の一つだ」ということ。そしてもう一つは「ハイスタは鹿野さんが思っているようなバランスでやっているのではなく、経営やあの曲この曲は、実は自分がやっているものなんだ」ということだった。

これらの話をしながら途中で、健君と僕はこの会話を記事にするという気持ちになり、僕はテレコを回して記事にした。名前は「ハイスタの真実」というタイトルで、このコピーは表紙にも掲載し、かなりのインパクトを音楽ファンにもたらした記憶がある。ミュージシャンからも反響が大きくて、一番最初に感想とも冷やかしとも文句とも何とも言えないことを言って来たのは、BRAHMANのTOSHI-LOWとBACK DOROP BOMBのTAKA君だった。

ーー今書いたように、僕にとって横山健はハイスタとしては最後の男だった。だけど、いろいろと特別な会話をさせてもらったし、その後始動したソロのアルバムがとてもに哀しい歌ばかりなのに最高にカッコよかった。しかも、アルバムがあれだけカッコいいのに、最初の頃はライヴになるとなんかよくわからない、アルバムの中の楽曲のカッコ良さが全然伝わらないものになっていて、そのアンバランスさも面白くて、どんどん横山健に惹かれて行った。

やがて健君はライヴに重心を置き、そのためにソロの形態をKEN BANDというバンドにし、メンバーチェンジを含めてどんどん進化を遂げて行った。雑誌で表紙もやったし、その時の写真を褒められた事もあるし、インタヴューで何度も最高の会話をしたと思ってるし、インタヴュー以外にも様々なやり取りをした。フェスにも出てもらったし、ツアー密着もしたし、自分のユーストリーム番組で「オマンコ」と連呼されたこともあるし、健君のテレビ番組に呼ばれた事もあるし、震災の後は気持ちを共有させてもらったこともある。有り難い経験は感謝に絶えない。

だけど結局の所、僕は横山健をよくわかってないんだと思う。さらによくわからないと思う事がどんどん増えている気もする。いつもその場ではいろいろと盛り上がるし、共鳴もする。でもしばらくすると気づく。ーー「あ、やっぱり自分は横山健をよくわかってないんだ」と。

きっとこれからもいい仕事を一緒に出来ると思う。彼が僕の事を迎え入れてくれる時もあって、その時は特別な会話や心情を吐露してくれることと思う。

でもきっと、また僕は横山健のことをわからない、と脳みそが痒くなるだろう。彼は特別なアーティストだから、彼の事をわからないと感じるのはとても儚いし虚しいし、だから脳みそが痒くなる。

でもきっとまたそうなる。

この映画を見て、そのことが心の底からよくわかった。

by 鹿野 淳(MUSICA)