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No.030 山崎洋一郎 (ロッキング・オン):作品レビュー 横山健 -疾風勁草編- ドキュメンタリーフィルム

作品レビュー:No.030 山崎洋一郎 (ロッキング・オン)

「人間がステージに立っている」といつも思う。
横山健がライブでステージに立っているのを見るといつも
「人間が立っている」と思う。
 by No.030 山崎洋一郎 (ロッキング・オン)

観た人誰もが感動して熱狂した2011年のAIR JAMでのHi-STANDARDのステージ。
だが、あのライブの終盤に横山健は苛立ちのあまり演奏中にアンプを蹴り倒しそうになったと言っていた。
あの時ステージの上で横山健は「ハイスタを再結成してみんなに喜んでもらいたい、日本のために力になりたい」という気持ちと「なんで俺はこんなことをやっているんだ」という気持ちに引き裂かれながらギターを弾いていたのだ。
そしてステージから降りた彼は、折り合いのつかないその気持をカメラに向かって話し始める。
このDVDはそんなシーンから始まる。

「人間がステージに立っている」といつも思う。
横山健がライブでステージに立っているのを見るといつも
「人間が立っている」と思う。
人間味がある、とか、人間臭いキャラクター、とかそういうことではなく、
人間としてきちんとステージに立っている、その強さを感じる。
弱さも、迷いも、混乱も、愚かさも、すべてを抱えた人間としてそのままステージに立つのは怖いはずだ。
それらをバックステージに置いてから、ステージに上がるほうがよほど容易だろう。
実際、ほとんどのロックミュージシャンはそうやって普段の自分とステージの上のロックスターとしての自分を区別してステージに上がっている。
でも横山健はそうではない。常に人間としてステージに立つ。

なぜなら、横山健にとってライブとは−−−−音楽とは−−−−弱さや迷いや葛藤や混乱や矛盾を抱えて生きている人間同士が出会うための場だからだ。
一人一人は何も答えを持っていなくても、ステージの上にいる横山健本人ですら何も確かな答えなど持っていなくても、出会うことで何かが生まれる、出会うことで何かが変わる、出会うことで何かを捨てたり拾ったり、目覚めたり反発を感じたり、新しい心のアクションが生まれる、そういう場だからだ。

ライブに限らない。
Hi-STANDARD、ソロ、PIZZA OF DEATH、そして東日本大震災について、横山健は常に一人の人間として考え、迷い、悩み、決断し、行動する。

このDVDは、僕らよりも勇気があって強くて少し先を歩いている、同じ人間としての横山健が、どんな思いで生きているのかを立ち止まって身近で語ってくれる、そういう作品だ。

by 山崎洋一郎 (ロッキング・オン)