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No.027 柳憲一郎:作品レビュー 横山健 -疾風勁草編- ドキュメンタリーフィルム

作品レビュー:No.027 柳憲一郎

横山健が横山健であり続けることは、とても困難なのだと思う。 by No.027 柳憲一郎

男の全裸は笑える。犯罪行為を助長しようとしているわけでもないし、性的な意味でもない。ましてやシリアスな自己表現でもない。全裸は手軽なレジャーとでも言おうか、あるいは男性が購入せずとも初手から所持しているジョークグッズのひとつ、とでも言おうか。日本の奇跡とも言われた高度経済成長を達成したサラリーマンたちにとって宴会での裸踊りは必修科目であったそうだし(誇張あり)、その滑稽さを突き詰めた「裸芸人」と言われるコメディアンたちも規制がいろいろ厳しくなった最近でも絶滅することはなく、各個ギリギリのところでやたら元気いっぱいである。好き嫌いは別にして男の全裸にはそういうアホな魅力があるということはご理解いただけるだろう。

ロックミュージシャンもそういう素敵なアホがいる。デカい音、激しいライヴのバンドであればあるほど多いと思っている。打ち上げだと何故か全裸の男がフツーに呑んでいたりしてバカに面白い。打ち上げがシリアスな反省会になればなるほどみな全裸になります、そんなミュージシャンとスタッフもいたのを思い出す。最高だったなあ。

ハイスタもお見事だった。今から15年くらい前だ。雑誌のインタビュー掲載用に3人のアーティスト写真をくださいと言ったら温泉で全裸、見事に竿を股間に挟みきって得意顔の3人の写真が届き(写るンですで撮ったとおぼしきサービス版サイズの写真だったと記憶している、まだそういう時代だったのだ)、爆笑しながら感動したものだ。挟み込むといっても簡単ではない、各個人の竿の長さと袋の伸縮率(外気温に左右される)の関係でなかなかの困難さがあることも男性諸君ならご理解いただけるだろう。ハイスタのテクニックと団結力はそういう部分にも表れていた、というのは言い過ぎだろうか(言い過ぎである)。

そしてこのドキュメンタリーである。彼の語りは基本的にシリアスだ。彼の人生はロックミュージシャンとしての輝きに満ちていると多くの人が思うはずだ。結構な男前で茶目、年齢ほど老けこまないといううらやましい特性をも持っている。人気者の要素をたっぷり持った男だ。

なのにこのシリアスさはなんだろうと思う。彼はその特性ほどそれほどピッカピカに幸せな思春期を過ごすことはできなかったようだし、バンドマンとなって以降も実は同様だ。その困難やトラブルは黙ってやり過ごせばいい、受け流せばいいじゃんというタイミングでなぜそれをひどく気にしたり、怒りをあらわにしてしまうのだろうと思った。またそれをこのような形で正直に語ってしまうところで、災いするところも多いのだろうなと思う。だからこそ彼は横山健なのだけれど、横山健が横山健であり続けることは、とても困難なのだと思う。

それでも。このシリアスなドキュメンタリーは、折々に挟み込まれる横山健のくだらない冗談とチンコに救われている。さきほど年齢ほど老けこまないと書いたが、いっぽうそれなりにちょいと出た腹を隠すこともない。全裸で踊り練り歩きあるき、怪鳥のような奇声と笑い声をあげるのであった。いったい何をやっているのか。

僕はそういう横山健が好きだ。スカッと爆笑しながら泣く。考え込まされもする。時に怖いくらい怒る。それは硬派なメロディック・パンクの魅力でもある。

by 柳憲一郎