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No.009 吉田幸司(ROCK AND READ 編集長):作品レビュー 横山健 -疾風勁草編- ドキュメンタリーフィルム

作品レビュー:No.009 吉田幸司(ROCK AND READ 編集長)

震災と言う出来事があったからこそのHi-STANDARDの始動、AIR JAM開催という激動があってのドラマ性と言うのがあるかもしれませんが、仮に震災がなくても、この映画は完成していたはずだし、見た後に抱く感想はたぶん同じ感じだと思う。 by No.009 吉田幸司(ROCK AND READ 編集長)

昨年秋に公開された横山健のドキュメンタリーフィルム『横山 健 -疾風勁草編-』のDVD化を記念し、ライターと編集者何人かでクロスレビューをする企画が組まれたそうで、なぜか僕のところにもその執筆の依頼が来た。僕が20年以上前にハードコアバンドをやっていて、彼が下北屋根裏でバイトしていたときに照明をしたことがある縁からなのか、それとも以前『バンドやろうぜ』という雑誌を編集し、Hi-STANDARDが『LAST OF SUNNY DAY』を出したときから、つまり活動初期から取材していた1人だからなのか、それとも僕が彼に憧れ、よく青いバンズのスニーカーを履いていたからなのかーー。どれもまったく関係ないだろう。では、もう何年も取材する機会に恵まれていない僕になぜ声がかかったのか。もしそれが、僕が今も彼のファンの1人であるということを、なんとなくPIZZA OF DEATHの方が感じてくれていたのだとすれば、とても光栄だ。

さて、この作品は、もしあなたが横山健という人間にポジティブさのみを求めているのであれば、おそらく見ないほうがいい。それぐらい、苦しく、せつなく、そして痛い。でも、逆に彼の音楽にはなぜ希望があるのか、その理由を知りたければ、マストで見ておくべきものであるはずだ。

映像は、AIR JAM 2011終演直後の、懺悔にも近い複雑な心情のカミングアウトから始まる。「わかっていた怖いことがついに起きてしまった」。そこから、彼の複雑な家庭環境がフォーカスされ、そしてギターを手にして以降の成り上がり物語と、それとは裏腹にどんどん肥大化していく葛藤が明かされていく。ここまで赤裸々で大丈夫かと、正直、見ているこちらが心配になるほどだ。

しかし、どんな理由にしろこの作品を見始めてしまった人は、どうか途中でストップしないでほしい。最後の最後、そこにはどんでん返しが待っているのだから。

そんなことみなさん百も承知だろうが、横山健は過去にすがって生きているわけではない。今を生きている。しかし、この作品を見ながら、震災以前はそれが少し違っていたんじゃないかと思えた。おそらく、今を生きながらも、ずっとHi-STANDARDの亡霊と戦っていたのではないだろうか。そして2011年の再会を経て、AIR JAM 2012を東北で開催したことで、その戦いに決着をつけることができたのではないだろうか。だからこそ、このドキュメンタリーはHi-STANDARDのことを多めにフィーチュアしながらも「Hi-STANDARDの横山健」としてのものにならなかったんだと思う。むしろ僕には、結果として「Ken Bandのドキュメンタリー」となったように思えた。いずれにしても、2012年のAIR JAMが横山健の生き方の大きな転機になっていることは間違いない。

かつて、THE WHOは「I hope I die before I get old」と歌った。ムーンライダーズは「Don’t trust over 30」と歌った。昔はロックは若者のものだった。もっというと、オトナになりたくない若者のものだった。

しかし、今はロックの在り方がだいぶ変わった。オトナになることなく大人になったロックミュージシャンがたくさんいる。信じられる大人がたくさんいる。紛れもなく横山健はその1人だ。そして、そのカッコいい大人のパンクロッカーは、カッコいい父親でもある。その姿をかいま見せているのもこの作品のひとつの見どころだと思う。

横山健はこの作品で「俺はお地蔵さんになろうと思った」と語った。そこでふと思った。お地蔵さんとは優しい人ではなく、実は頑固者なのではないだろうかと。納得のいかないことととことん戦える頑固な人こそが、人に優しくなれる。勁草というのは風雪に耐える強い草のことで、転じて、思想が堅固であることを指すらしい。「勁草・横山健」は、もうすでに「お地蔵さん」なのかもしれない。

by 吉田幸司(ROCK AND READ 編集長)