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横山健はパンク・ロックのヒーローである。いうまでもなく、彼の音楽とアティチュードは、数えきれない人の人生に影響を与え、時には誰かを救ってきた。彼がいなければ今の自分はない、という人はこの国にたくさんいるだろう。そういう意味で彼は間違いなくヒーローだ。だが、高校生のときにバンドを始めて現在まで駆け抜けてくるなかで、彼が「ヒーローになりたい」と願ったことはあったのだろうか。パンク・ロック・ヒーローとしての自分自身という姿は、彼自身が望んだものだったのだろうか。もちろん、かっこいいバンドになりたいとか、すげえ曲書きたいとか、ギター上手くなりてえとか、そういう「夢」や「目標」はいくらでもあっただろう。実際、横山はその「夢」や「目標」をひとつずつブレイクスルーし、キャリアを積み重ねてきた。だが、その夢の積み重ねが結果的に彼をヒーローの座に押し上げたとしても、それは結果論にすぎない。彼は自分が巨大な看板を背負ったパンク・ロック・ヒーローとしてステージに立つことになろうとは思ってもいなかったはずだ。だからこそ彼はその違和感に悩み、その苦悩が間接的にしろ直接的にしろ、Hi-STANDARDというバンドをストップさせたのだと思う。
しかし、2011年3月11日以降、横山健は明らかに変わった。震災をまたいでリリースされたKen Yokoyamaの『Four』と『Best Wishes』という2枚のアルバムを聴き比べれば明らかなように、震災以後の彼の立ち居振る舞いには何か大きなものを背負うような覚悟が透けて見える。しかし、その境地にたどり着くまでには、巨大なジレンマを乗り越える必要があった。横浜スタジアムでの「AIR JAM 2011」のステージ上で、横山は「俺たち、日本のために結集したんだよ」と発言しているが、それはまったくの本音だったと思う。逆にいえばそれだけの大義名分がなければHi-STANDARDは動かなかったし、そう言い切らなければ自分が今ここに立っていることを正当化できなかったのだろう。本作『横山健〜疾風勁草編〜』の冒頭で語られるとおり、横浜での復活劇の後、横山は悩んでいた。こんなにもデカいものを背負い込んでいいのか、それが自分自身にとって正しいのか。それは彼がヒーローである自分を受け入れるためのプロセスだったように思えてならない。
改めていうが、横山健は震災を経てヒーローに「なった」のではない。ヒーローであることに「気付き直した」にすぎない。このドキュメンタリーにおいて、震災以後の物語と生い立ちから語り起こされるライフストーリーが重なることで見えてくるのは、いかに彼が一貫してひとつの信念を貫いてきたかという事実だ。たとえば、横山が小学校時代どういうキャラクターだったかというエピソードと、被災地でライヴを行いキッズとコミュニケーションを取る彼の姿。たとえば、Hi-STANDARDの絶頂にあって彼を苛んでいた苦悩と、宮城でAIR JAMをやるまでの複雑な心境。すべてが一本の糸でつながっている。それはつまり、横山健がそういう人だということだ。自分の中で筋が通らないことには頑として首肯しない。だが、一度やると決めたことは何が何でも貫き通す。その意味で、このドキュメンタリーに冠された「疾風勁草(疾風に勁草を知る)」という言葉は横山健そのものだと言ってもいい。その信念と、時代や状況の要求を、いかに噛みあわせて何かを成し遂げるか――Hi-STANDARD復活にまつわる横山のジレンマは、2012年、宮城で開催した「AIR JAM 2012」でひとつの決着を見た。終演後の表情には、何かが腑に落ちたとでもいうような晴れがましさが感じられる。そして、横浜スタジアムでは文字通りの大義として語られていた「日本のために」という思いが本作のラスト・シーンで日の丸を背負って“This Is Your Land”を歌う彼の姿に重なったとき、あるいはエンドロールの中で彼が背中に人々を救済するとされる地蔵菩薩の姿を彫っているのを観たとき、僕たちは横山健という男の本当の覚悟と強さを知るのである。
by 小川智宏 (ROCKIN'ON JAPAN)