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本作は横山健の伝記的映画ではない。その要素も前半に散りばめられてはいるが、3.11以降にバンドマンとして為すべきことを為すのだと肚を括った一人の男の決意に重きが置かれている。
だから序盤はテンポが小気味良い。複雑な家庭環境で育ったことも、やんちゃな幼少期や初めてギターを手にした時のエピソードと等比でサラッと言及される。Hi-STANDARDの人気絶頂時に神経を病むという本来なら重い独白すらも割とあっさり披露されている。ヘヴィなトピックは淡々と見せるのを良しとするかのような編集は、横山一流のバランス感覚、才覚なのだろう。原発の是非について自身の考えを述べる重要な場面において、「NO NUKES 2012」で横山がおどけて段ボール製のライディーン・ロボに扮する映像が敢えて挿入されているのも意図的に感じる。こうした硬軟の織り交ぜ具合が彼らしい。口当たりはポップでキャッチーだが、その実は揺るぎないアティテュードが貫かれた横山健の音楽にそっくりだ。
物語のトーンが一変するのは、東日本大震災による大規模な地震災害、それに伴う福島第一原子力発電所事故が起きて以降だ。これを境に横山が精悍な顔つきになっていくのが印象的である。
群れを成すことを拒絶するはずのパンクというレベル・ミュージックに淫し、その音楽で破格の成功を収めた男が、3.11を境に「みんなでひとつになろう」と連帯を呼びかける。自身の影響力を熟考した上で慎重に言葉を選びつつ、社会に向けて脱原発を果敢に訴える。被災地に出向いて現状を見据え、音楽を通じて己ができることを有言実行する。そして、未曾有の被害を生んだ大震災に打ちのめされた日本を元気にしたい一心で、自身最大の持ち駒として、Hi-STANDARDを、『AIR JAM』を復活させる。凄まじいジャッジの早さと行動力である。
ここでようやく本作のタイトルに“疾風勁草”という言葉が用いられたことに合点がいく。疾風勁草。すなわち、激しい風が吹いて初めてその草が強いかどうかが見分けられるということ。困難に遭って初めてその人間の本当の価値、本当の強さが分かるということだ。
キャリア20年以上のバンドマンとして、ギター・キッズなら誰もが憧れるヒーローとして、今や日本屈指となった名門レーベルのオーナーとして、二児の父親として、一人の日本人として、横山健は臆することなく「NO NUKES」「STOP THE WAR」と声を張り上げることを選んだ。脱原発や環境問題に深くコミットすることに批判が集まるのも重々承知の上。音楽家は運動ではなく音楽で成果を出すべきだという声も、おそらく僕らが考える以上に本人に届いているのだろう。それでも勁草の如く己の信念を曲げず、言いたいことを言う。唄いたいことを唄う。
横山がこれほど一本気の通った男だったことを、震災と原発問題が逆説的に証明してしまったのはとても皮肉なことだが、考えてみれば彼はハイスタの頃から大人や利権を間に挟んだ既存の音楽システムを打破し、手探りのままDIYを貫く牽引者、シーンの旗振り役だった。今はそれに加えて脱原発の旗手であり、どの場面でも先頭に立ち旗を振る彼の役割は今も昔も変わらない。
日の丸と地蔵菩薩を背中に背負った男はただひたすら己を信じ、「俺はこう思うよ。君はどう?」と僕らリスナーに向けて対話のキャッチボールをやめない。この映画を見終えたあなたもきっと横山に対してボールを投げ返したくなるはずだ。投げ方やスピードは十人十色。バンドマンとしての横山は好きでも、思想面では賛同しかねるという人もいるだろう。それで大いに結構。『横山健 ─疾風勁草編─』という映画は、一人の傑出したバンドマンの姿を通じて今の日本の在り方を考えるヒントのような作品であり、大切なのは僕ら一人ひとりが今の日本は本当にこのままで良いのだろうか? と真剣に考えることなのだから。映画の終盤、日の丸の旗を振りかざす横山健の背中にあなたは何を思うだろうか。
by 椎名宗之(Rooftop編集長)