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No.019 ジョー横溝(Rolling Stone日本版):作品レビュー 横山健 -疾風勁草編- ドキュメンタリーフィルム

作品レビュー:No.019 ジョー横溝(Rolling Stone日本版)

本人は無意識だろうけど、俺らに新しいユートピアを見せようとしたんだろうなって。 by No.019 ジョー横溝(Rolling Stone日本版)

映画の冒頭、ショッキングなシーンから始まる。大成功を収め、そして何よりも被災した日本に大きな希望を与えた2011年9月18日横浜スタジアムで行われたAIR JAM2011でのハイスタのステージ直後の健さんが、浮かない顔でこの日のステージを振り返り、「ちっとも楽しくなかった」「KEN BANDで7~8年やってきたことを全部台無しにしちゃった気分」とネガティブな言葉を吐きまくる。

が、シーンは変わり、事務所で自身のヒストリーを中学の頃から振り返っていく横山健。中3年の時に初めてギターを手にし、高校で更に音楽に魅せられ、音楽で生きて行こうと決め、「そのためには思いついたことを全部やるんだ」と誓ったのだという。そして21歳の時、難ちゃんと出逢いハイスタを結成。以後破竹の勢いで伝説を作ってきたハイスタだったが…2000年3月、30歳の時、健さんが鬱病になりハイスタはバンド活動を休止してしまった。それでも病気が回復していくなかで、”思いついたことは全部やろう″を実践、”一人でパンクをやろう”と33歳の時、横山健ソロ活動を開始。そのままメンバーとKEN BANDを結成し、全身全霊で活動してきた。そんな横山健の第二のバンド人生が、ハイスタというバンドの残像に喰われてしまう。そんな苦い経験をAIR JAM2011でしたというわけだ。

そんな健さんの音楽人生ヒストリーを映画で観ているうちに、ふと、健さんが奏でる音楽はユートピアなんじゃないかと思えてきた。元々、1960年代に誕生したロックも、その後のパンクも俺らの先輩たちが創り出したユートピアの1つだったのだと思う。でも、そのユートピアは、80年代以降、豊かさに喰われていった。で、その度にロック(或いはパンク)は死んだ、と言われてきた。それだけじゃない、人類最大のユートピアのはずだった”共産主義”は1991年のソ連の崩壊で消えちゃった。で、あの頃、大袈裟に言うと、人類はユートピアを全てなくしてしまいそうになった。それで、次のユートピアをコンピューターの世界に求め始めた。でもPCの中なんてKUSOだよね。で、その頃なんだ、健さんが、ハイスタなり、KENバンドでもがいていたのは。本人は無意識だろうけど、俺らに新しいユートピアを見せようとしたんだろうなって。

でも、健さんやその仲間達が描くユートピア(仮称・ケントピア。健康ランドみたいだけど)は、理念や概念じゃないんです。リアルにしっかり地に足付いた、汗まみれで、肉体的で、だから面倒だし、傷つくことも多々ある、でも、誰もが頑張りさえすれば手にできるユートピア。それをこんなインターネット時代に必死になって俺らに見せようとしている気がしてならないんです。で、そのユートピアに辿り着く唯一の方法が、健さんがこのドキュメンタリーを通して言っていた事のような気がします。「自分で考える。そして思いついたことは全部やる」。

映画の最後、健さんが背中にお地蔵さんの墨を入れているシーンで終わる。背中に彫る理由は背負うことが大事だから。最近、健さんはステージで日の丸を背負って歌う。首にかけるんじゃダメ。大事なものは背負うこと。

そして、人間臭いユートピア(仮称・ケントピア)を背負った健さんは、これから何処に向かうのだろう。そのユートピアを共有しようとしている俺らは、何ができるのだろう。そんな俺らが暮らす日本はどんな国になるだろう。そして改めて、こんな時代だけど、俺らには必死になって追いかけられるユートピアがあるんだなぁって。そんなことを感じた作品でした。

健さん、素敵なユートピアの存在を教えてくれてありがとう。

by ジョー横溝(Rolling Stone日本版)